安保法制について私の見方

今回の安保法制については、安全保障についてのオプションの中でアメリカに守ってもらうという選択肢をとるのかどうか、とる場合、アメリカが本当に日本を守るという実効性をどう確保するのかということが最大のポイントです。

アメリカ以外の選択肢は有り得るか?
戦後日本は日米安保条約という形で、アメリカに守ってもらうという選択肢を選んできたわけですが、アメリカに頼る以外の選択肢は有るのでしょうか?アメリカに頼らないのであれば、その際の選択肢は、独力で防衛するか、他の国と組むか、あるいは国連に頼るかです。
(1)揺らぐ国際連合体制
初めに、国連に頼る案について。
戦後、戦争を防ぐために、国際連合をつくり、国連憲章により武力の行使を禁止しました。その際、国際社会の組織化が未だ不十分であることに加えて、東西冷戦の始まりを受けて、武力行使禁止の例外として、憲章は自衛権による場合を認め、その際、新たな概念として「集団的自衛権」なるものを国連憲章は創ったわけです。
国際連合体制は、元来、「国連軍」を創設して、集団的安全保障のシステム(集団的自衛権とは異なります)を構築する予定でした。しかし今に至っても国連軍は創設されず、従って国連が想定していた集団的安全保障のシステムは出来ていないわけですから、諸国は自衛権(含む、集団的自衛権)の世界で生きざるを得ないわけです。
国連は次善の策として、憲章にはないPKO(平和維持活動)等で工夫はしましたし、最近は国連の枠組みと言えるかどうかギリギリの、有志連合と呼ばれる形も出て来ていますが、残念ながら、国際連合によって世界の紛争をなくすことはできておらず、シリア、ウクライナ、ISIS等に見る如く、近年益々それが顕著になりつつあり、国際連合体制は揺らいでいます。
国際連合に頼って日本を守ることは、現実的ではなく、その選択は有り得ないと考えます。
(2)独力で防衛?
アメリカは便りにならないとして、近年、独力で防衛することを選択肢として唱える人が増えていますが、その際は、今と比較にならない程の膨大な防衛費が必要となるのみならず、核も保有するのか?という議論になります。アメリカに頼らず独力で防衛の場合、(スイスの例のように)徴兵制も議論になるでしょうし、私はこの考え方を採りません。
(3)他の国と組む?
アメリカ以外の他の国、例えば中国やロシアと組む選択肢については、そのような選択を望む国民はほとんどいないのではないでしょうか?
(4)何もしない非武装の選択肢?
これら以外に「何もしない」非武装という選択肢については、それは「ギャンブル」と同じであり、責任ある選択肢としては有り得ません。
このように考えてくると、日本の安全保障について、アメリカと組むという選択肢が、結局唯一の現実的な必然として浮かび上がってくるように思いますが、如何でしょうか?

その際のポイントは、アメリカの対日防衛コミットメントを確保できるかどうかです。
アメリカの防衛コミットメントを確保することの大事さと難しさについて、国民の認識が不十分だと感じます。この点については、歴史的経緯もよく知っておく必要が有ります。

占領後の安全保障
(1) 外務省の国連案を吉田茂は一蹴
戦後、占領期間中は、占領軍(アメリカのみならず、イギリス、オーストラリア等)がいたから、ソ連が攻めてくる心配は有りませんでしたが、占領後の安全保障をどう守るかについて、当時の吉田茂首相兼外相は外務省に検討作業を命じました。
外務省は、永世中立国案や国連の信託統治地域になる案等々について検討した結論として、国連に守ってもらうという案を吉田茂に報告しましたが、これに対して吉田は、「野党の口ぶりの如し。無用の議論一顧の値なし。経世家的研究に付き一段の工夫を要す」と一蹴します。

150917安保法制ブログ

(「米国の対日平和条約案の構想に対応するわが方要望方針(案)」、当時極秘の文書ですが、今は公開されています。吉田の乱雑な直筆が残っています)国連に守ってもらうというのは、如何にも当時の世論受けする発想(今も?)ですが、ソ連が日本に攻めて来た時に、国連は、安保理においてソ連が拒否権を行使するだろうから全く動けず、国連に守ってもらうなど机上の空論だと喝破したわけです。
(2) 日米同盟の選択→アメリカの防衛コミットメント
吉田茂としては、独力で日本を守ることは不可能かつ非現実的との認識から、日本はアメリカに基地を提供することと引き換えに、アメリカに守ってもらうという案を考えていました。これが今の日米安保条約につながります。その際の核心は、有事にアメリカが本当に日本を守ってくれるかどうかの防衛コミットメントを条約の文言上取り付けられるかどうかです。
(3)対日防衛コミットメントについてのアメリカの本音
しかしこの点については、今日からすると意外に思う方が多いかもしれませんが、当時アメリカは、対日防衛コミットメントをゼロにしたいというのが本音でした。当時の統合参謀本部の文書に、「米国は日本の防衛にコミットすることに公式に同意してはならない」とはっきり記されています。

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(米国の外交文書で公開されたものです。JCS(統合参謀本部)のものです。アンダーライン部分)
吉田茂としては、基地提供により、何としても条約文言上のアメリカの対日防衛コミットメントを取り付けたかったわけですが、交渉としては、最後の土壇場で日本側の外務省事務当局のミスによって、条約文言上のアメリカの対日防衛コミットメントの取り付けに失敗してしまいます。こうして、1951年の旧安保条約に、アメリカの対日防衛コミットメントの文言は入りませんでした。
この辺の詳細は、世の中でほとんど知られていませんが、日本の安全保障をめぐって正確な歴史観を持っておくことは大事です。当初アメリカは対日防衛コミットメントの条約上の文言を拒否したわけです。それが歴史の事実です。
条約文言上のアメリカの対日防衛コミットメントを取り付けるのに、その後10年がかりで、1960年に岸信介総理による安保改定によって、何とか確保するに至るわけです。岸信介総理の安保改定の意味は、吉田茂総理の時代に不覚にもやり残したアメリカの対日防衛コミットメントの条約文言上の確保を成し遂げたことにあります。この辺も世間一般の認識は不正確です。

片務的条約
1960年の新安保条約により日本はアメリカの対日防衛コミットメントを条約の文言として確保したわけですが、これについてアメリカから見れば、片務的条約との不満が有ります。アメリカは安保条約5条で日本が攻撃された際、自らは攻撃をされていなくても、集団的自衛権による対日防衛をコミットしていますが、日本は、集団的自衛権は「有るけど、使えない」という解釈で、自らブレーキをかけてきており、アメリカが攻撃されてもアメリカを守るために集団的自衛権は使えないとしてきたからです。アメリカには、これでは「同盟」といっても片務的であり、不公平じゃないかという不満が大きく積もっています。日本が日米はイコールパートナーだと主張するんだったら、片務的条約を何とかするべきだとの思いをアメリカは強く思っています。その一つの現われが、いわゆる「ただ乗り」論です。
戦後まもなくの、日本がまだ経済的にも大国とは思われていない頃であれば、かたやアメリカは世界一の超大国であったわけですから、そのような片務性もアメリカには、受け入れるだけの余裕が有ったでしょう。

アメリカの相対的な力の低下
しかしその後、日本が経済的に大きくなるにつれて、アメリカ側から「バードンシェアリング」ということが言われるようになり、これに対して日本側としてはホストネーションサポート、いわゆる「思いやり予算」等様々な工夫を重ねて何とか対応してきました。これらは全て、アメリカの対日防衛コミットメントを確保せんとの思いが背景に有ります。
さらに世界は、戦後の米ソ2大超大国の時代から、ソ連崩壊によりアメリカの一極支配となり、当時フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」との本すら出たわけですが、その後、アフガン、イラクでの戦いを経て、アメリカは消耗し、一極支配の構造から多極化へ、もしくはG1からGゼロへと言われる状況になりました。
このようなアメリカ自身の相対的な力の低下という状況の中で、日米安保条約の片務性に対するアメリカの無言のフラストレーションが一層高まっており、アメリカの対日防衛コミットメントが実質上、空洞化が懸念される状況になるに至っています。アメリカの対日防衛コミットメントを確保するための努力が重要になっており、そのような文脈の中で今回の安保法制を見ることが重要です。
国際政治が専門の方達はこの見方に同調すると思います。しかし、この点について、いわゆる憲法学者は当然のことですが全くの素人です。数学の難問を国語の先生に解法を尋ねるようなものです。学者とは言え専門が違うのです。したがって、憲法学者の合憲とか違憲とかの議論には、私がここで述べたような観点は全く含まれておらず、一面的な見方になってしまっています。
今回の安保法制は、アメリカの対日防衛コミットメントを確保する観点からは、方向としては間違っていません。
なお、今回の安保法制に言われるところの集団的自衛権は、世間一般で言うところの所謂集団的自衛権よりも、極めて抑制された、限定的なものであり、個別的自衛権に「毛が生えた」程度と表現する人もいます。

合憲か違憲か
合憲か違憲かの議論については、憲法には「集団的自衛権」という言葉のみならず、「自衛権」そのものについても、一切言及されておらず、解釈上は、合憲論と違憲論のどちらも可能です。自衛権という語が憲法に言及されてない以上、全て「解釈」の問題です。
憲法の字面を機械的に見れば、「自衛隊」は違憲と考えるのが字面では自然です。しかし現在、自衛隊を違憲とは言わないのではないでしょうか?それが憲法の「解釈」論です。「字面」だけでは現実の世界に対応する上でおかしな話になります。国民を守ることになりません。
私は、民主党時代、テレビの番組で、集団的自衛権について問われ、「戦後70年近く経って、日本が戦争を望まない国であるという信頼はでき上がっている。国際連合に加盟した時点で認められる集団的自衛権について、日本は自ら遠慮してブレーキをかけてきた。諸国の信頼ができた今、もうそのブレーキは必要なくなっていると思う。」と述べて、何も異和感はなかったように感じていました。当時民主党の中でもそれが趨勢だったと思います。本来アメリカが渋る対日防衛コミットメントを確保する必要性からの話と併せて、それが政策論です。

「対米従属」について
なお、今回の安保法制について、「対米従属」云々の議論も言われますが、本質的な議論ではありません。日本の国民の生命、財産を守るために、何が一番良いかの基準が最も重要です。
安保条約ができた時の話として、実はいかに「対米従属」でなかったか、吉田茂の死に物狂いの努力、「統合司令部」の拒否という逸話を紹介しておきましょう。それは、世の中では全くしられていませんが、歴史の真実です。
(1) アメリカはNATO型の「統合司令部」を要求
1951年に旧安保条約が締結された後、その実施協定として、「行政協定」の交渉が行われたわけですが、その際アメリカ側から、「統合司令部」(unified command)の提案がなされました。
これは有事の際には、アメリカの司令官が日米両方を合わせて、指揮するというものです。unified command,統合司令部と呼ばれ、アメリカとしては、NATOと同様のシステムを極く当然のこととして要求してきたわけです。NATOの場合は、アイゼンハワーが英仏に請われる形で初代の司令官になりました。
アメリカはこの統合司令部を安保条約交渉のかなり早い段階から日本に提案してきていましたが、安保条約の実施協定である行政協定の交渉を通じて、吉田茂は、これを頑として拒否しました。統合司令部を受け入れると、日本国民の中には日本がアメリカの駒になったと言う者が出るだろうからというのが、その理由です。いわゆる対米従属と見られたくなかったということです。
(2)ダレスの脅し
しかし、アメリカ側の交渉者ダレスは、もし受け入れないなら、サンフランシスコ講和条約の批准をしないぞとまで吉田茂を脅しました。占領状態に戻ってもいいのかという脅しです。
このギリギリの所で吉田茂も一瞬迷いますが、結局、最後はアメリカ側で国務省が国防省を説得し、アメリカ側が折れる形で、日本は統合司令部を拒否しきりました。
吉田茂はすごい交渉をやりきったわけです。
(3)ガイドライン
それにより、日米は別々の命令系統で指揮、即ち、米軍はアメリカの司令官が、日本側は日本の司令官が指揮することとなり、その結果いわゆる「ガイドライン」が必要になるわけです。
この統合司令部を拒否したという歴史的事実は、世の中に知られていませんが、日米安保体制、あるいは日米同盟の重要な特徴です。
吉田茂の必死の交渉のレガシイ、遺産です。日米はイコールパートナー、対等たるべしとの気概の現れでもあります。
日米安保体制には、その始まりにおいて、日本がアメリカの命令どおりに動くわけではないという仕組みが本当はビルトインされているとも言えます。
但し、実際の現象面を見ると、これまでどちらかと言うと少々従属的な面が強かったように感じている方が多いでしょうし、そう言われても仕方が無い面が有ると思います。ちなみに、私は、博士論文を書く際に研究した吉田茂を見本とし、必要と思えばアメリカに相当ストレートに言います。外務副大臣の時もそうでした。

自衛官の任務に「リスクがない」との議論はむしろ非現実的ではないでしょうか。そもそも自衛隊発足以来、隊員の任務の実施には必ずリスクを伴っています。新たな任務に伴う新たなリスクが生じる可能性はありますが、法律上及び運用上の安全確保の仕組みを何重にも築くことにより、リスクを極小化、局限化をして隊員が派遣されることになります。
もちろん、自衛官が訓練中や任務中に不幸にして死亡した場合、公務上の死亡と判断された場合には、国は遺族補償として、御遺族に対して遺族補償年金又は遺族補償一時金を支給しますし、公務死亡でない場合も含めて、御遺族に対して遺族共済年金や遺族基礎年金が支給されます。
なお、服務の宣誓に関して、国民の命と平和な暮らしを守るという自衛隊の任務は、今回の法整備においても全く変更なく、宣誓の見直しを行う必要は有りません。

今回の法案において、集団的自衛権の行使に関しては、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆られる明白な危険がある」かつ「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない」場合に、「必要最小限度の実力行使」を行うこととしており、世界各国の集団的自衛権と異なり、自国防衛に限った、「限定的行使」と言えます。
かつての湾岸戦争やイラク戦争等のような場合に米軍とともに自衛隊が戦闘行為に参加するようなことには、なりません。
その意味で今回の法案はテロの危険性を高めるような性格のものではありません。
テロについては、今回の法案如何にかかわらず、全世界でその危険性が高まっていることは周知のことであり、日本国内で起きないように防ぐための努力を一層強めていくことが必要です。

今回の法案による我が国の集団的自衛権の行使は自国防衛に限定されているため、これにより新しい装備を必要とする云々の議論は当を得ません。

最後に、外交と安全保障は車の両輪です。外交官でうまく行かなければ、軍人の仕事になってしまいます。その意味で、先ず「外交の力で国際問題にあたり」、軍人の出番が無いように仕事をするわけです。
但し、外交と安全保障は、別物ではありません。戦後日本は、吉田路線と言われるドクトリンにより、安保条約によりアメリカの傘の下で安全保障を確保し、経済に専念、池田勇人の所得倍増政策等で成長路線を走り、経済外交に邁進してきました。安全保障あっての外交です。
既に述べたように、アメリカの相対的力の低下が甚だしい現在の状況では、現行の安保体制上、アメリカは日本を守るが、日本はアメリカを守らないという片務的性格のままでは、アメリカの対日防衛コミットメントの空洞化が懸念される状況であり、安全保障あっての外交というスタイルに陰りが生じかねません。その隙をつく国が無いと言えないのが、悲しいかな国際政治の現実です。
私のビジョンは、そういう国際政治の姿を変えて平和と繁栄の仕組みをつくることにあります。70年前には戦争していた日米であり、日本は2発の原爆まで落とされたわけですが、今や両国は経済的のみならず、政治、文化等々緊密に結びつき、今や日本とアメリカが戦争するなど夢想すらできません。今はゴタゴタしている日本と中国と韓国との関係ですが、TPP(環太平洋経済連携)、日中韓自由貿易協定(私が外務副大臣の時に交渉開始、現在、尖閣で一時休止状態)、環日本海経済連携構想(これも私が外務副大臣の時に、先ず日、ロシア、韓国、中国、モンゴル、アメリカの6カ国で学者による国際会議を東京青山の国連大学にて開催)、これに既にまとまっている東南アジアを合わせると、「アジア・太平洋共同体」的なものが可能であり、それにより、日本とアメリカとの関係同様に、アジア・太平洋地域において戦争の可能性を排除し、繁栄を創るというのが私のビジョンです。
それを現実のものとするまでの過程も含めて、安全保障あっての外交です。
ちなみに、意外かもしれませんが、安全保障の話も、外交の担当である外務省が本来主務官庁です。最近は、防衛庁が防衛省に格上げされたことも含み、旧防衛庁の権限が増大していますしそのことについて私は気に入りませんが、実は私自身、1984年から86年まで、防衛庁の防衛局運用課というところで、航空自衛隊を担当する「部員」(参謀本部員の名残り)として外務省から出向して仕事をしていましたので、耳学問や机上の空論ではなく、体で安全保障を理解しているつもりです。
現実の国際政治において、外交だけやって防衛のことはしないという選択肢は有り得ません。それは、国内で警察がしっかりしていないと安心して仕事ができないことに似ているかもしれません。警察をなくすわけにはいかないでしょう。
国際政治の冷厳な現実を踏まえる時、外交だけで日本の安全を保障しようとすることは、ギャンブルに等しくなってしまいます。安全保障のいくつかのオプションの中で、アメリカとの安保条約により、日本は経済に専念することを可能にしたのが、吉田ドクトリンです。但し、日本が大きくなり、アメリカの相対的な力が低下した今、アメリカに守ってもらうのであれば、アメリカの対日防衛コミットメントの空洞化を防ぐため、安保条約の片務性について少しだけでも何とかしようというアプローチを避けて通れず、それが今回の安保法制の位置づけだと思います。アメリカに守ってもらうということが結局戦争を防いできたし、これからも防ぐとの発想です。
(了)