プロフィール サマリー
【地元の小学校から外交官に】
地元の相生小学校
地元の相生小学校が私の原点です。相生港が世界の七つの海に繋がっていること、相生のIHIをはじめとする日本の造船が世界一であったこと等を小学校の先生に教わり、小学生の私は大いに鼓舞されました。
淳心学院中・高等学校 東京大学
中学校と高校は姫路のカトリック系のミッション・スクールで学びました。中学生の時、父親のはからいで神戸YMCAの交換プログラムでアメリカのシアトルに行き、日米の中高生でキャンプをした際に、国境を越えた心と心の交流の感動を体験したことがキッカケで、歯科医である親の後を継がずに、外交官をめざし、東大法学部を目指し入学しました。
外務省に
東大法学部には現役で合格しましたが、外交官試験は苦労して3度目にやっと合格でした。外務省では米国研修組、いわゆる「アメリカ・スクール」となり、大好きなアメリカで研修できて幸運でした。外務本省の経済局で勤務の後、世界の中心とも言えるワシントンDCにある大学院に留学させてもらったわけですが、ワシントンでの勉学中に多くのアメリカの友人をつくると同時に、そこで恩師ナサ二エル・セイヤ―先生とめぐり会い、結局Ph.D.(博士号)まで取得することができました。
ジョンズ・ホプキンス大学卒業の大先輩にあたる新渡戸稲造さんの「我、太平洋の架け橋とならん」との言葉に初めて触れた時、魂を揺さぶられるような感覚があったことを覚えています。
外務省ではアメリカ研修の後、経済協力局、防衛庁への出向、経済局、情報調査局での勤務の後、中国、パキスタン、英国の日本大使館で勤務しました。
当然最後まで外交官人生を務め上げるつもりでしたが、実際に外務省で勤務してみると、官僚は政治家にペコペコして言いなりになっていることに不条理を感じていました。
【衆議院議員として】
一流より更に超一流の政治家を目指して
そのような中で、ロンドン勤務の際、当時の小沢一郎新進党幹事長に見出されることになり、徒手空拳、1996年の衆議院議員総選挙に出馬しましたが、その時は落選、その後、2000年の総選挙において無所属で当選、紆余曲折を経て今に至ります。政治家としての私の目標は、日本を一流の国家として再興し、人々の生活を豊かにし、人々の幸せを実現することです。そのために日本の政治は一流でなければならず、一流の政治は一流の政治家により初めて可能であり、私もそのために研鑽を積み重ねています。一流の経済を実現するためには一流の政治家が必要ですが、私としては内心、一流より更に「超一流」を目指しています。
世襲政治家ではありません
私の父は相生市で歯科医として頑張っていましたし、家族にいわゆる政治家はいませんでしたので、いわゆる地盤・看板・鞄はなく、世襲の政治家ではありません。
30人以下学級方案を提出
当選後すぐに、教育についての議員立法として「30人以下学級推進法案」を提出したり、相生駅へのひかりの増便、姫路駅へののぞみの停車を実現しました。
9.11
2001年の訪米時には9.11に遭遇し、ホワイトハウスで激しいやり取りをしたことを思い出します。
国立大学法人化法に猛反対
2003年には、「国立大学法人化法案」に激しく反対しました。民営化の雰囲気に抗しきれずに出てきた法案でしたが、今、日本の国立大学が儲かることしか研究できなくなって、世界の中での評価が落ちてしまっています。国立大学は「国立」として、この悪法はいずれ廃止すべきだと思っています。
北東アジア連携を模索
2012年、外務副大臣時代、「北東アジア協力に関するトラック2会合」を開催(日、米、ロ、中、韓、モンゴル)、北東アジア連携を模索しました。現時点でロシアは戦争中、北朝鮮も繰り返しミサイルを発射する等、この構想の早期実現は難しい状況ですが、私の戦略的発想としては、いずれアジア・太平洋を、TPP、RCEP、ASEAN、に北東アジア連携を加えて「つなぎ」、平和をつくりたいという強く願っています。それと併せて、北朝鮮問題も解決します。
尖閣諸島問題
2012年には、尖閣諸島問題で苦労しました。泥は全部私がかぶった恰好です。
消費税・議員定数削減
この間、2012年には、消費税を上げるなら議員定数を削減すべしとの大きな政局的な動きもかけました。
自民党に合流
民主党の中では私の主張がなかなか受け入れられない状況を見るに見かねられたのか、2012年の総選挙の直後に二階俊博先生から、自民党に来ないか、とのお話を頂き、2015年に自民党に合流しました。
「世界津波の日」と「部落差別解消推進法」
二階先生と仕事を共にする中で、2015年には国連で「世界津波の日」を制定するまで漕ぎつけました。また、2016年には、「部落差別解消推進法」を議員立法として成立させました。
あおり運転の罰則化とサポカー限定運転免許
2020年には、あおり運転の罰則化とともに、サポカー限定の運転免許の創設に尽力しました。
姫路駅に駅ピアノと上郡駅・有年駅でのICOCA使用
その間、姫路駅での駅ピアノの設置、有年駅や上郡駅等でICOCA使用にも動きました。
環境大臣として「脱炭素国債(GX債)」の実現
2021年には環境大臣に就任、いろいろ実現した中で、グラスゴーでのCOP26における1.5度目標についての合意実現への貢献とともに、「脱炭素国債(GX債)」の実現が特に大きな成果と思っています。
裏金とは無縁
2024年には裏金問題がクローズアップされていますが、私の事務所では入出金全てキチンと法令に則り収支報告していますので、残念です。政治家への転身を決意し、英国勤務を終えて離任する際、仲良しの敏腕ジャーナリスト、ジョージ・ブルさんが贈ってくれた「政治は最も高貴な仕事である。」(Politics is the noblest job.)という言葉をずっと大事にしています。いかにもイギリス的な表現で、政治は権謀術数で時に汚い面も有ろうが、政治は国民を幸せにするという「高貴な仕事」なのだということを強調しているのだと思います。政治家としての私の出発点であり、私はこれまで、この言葉どおりの気持ちで政治の仕事に携わってきましたし、これからもずっとそうです。裏金云々の話と私は無縁です。
【私の国家観】
リアリストとして国力を強化新たな世界秩序つくり
現在の戦略環境の中で、私が描く日本の国家像は、リアリズムに立脚しつつ、反転攻勢を合言葉に、欧米など世界の資本も活用しながらイノベーション投資を加速させて民主主義の基盤を強化するとともに、自ら世界秩序をつくる気概を持って、アジア・太平洋のネットワーク構築と民主化推進により平和と繁栄をつくっていく、その中で国民の幸せを実現していこうというものです。
戦後の世界秩序であった「パックス・アメリカーナ」が揺らぎ、米中新冷戦と呼ばれる状況の中、世界は新しい秩序を模索しているように感じます。そしてその際、保守かリベラルかのレッテル貼りはあまり意味がありません。大事なのは、現実の問題を解決しようとするリアリズムだと思っています。
前の冷戦は軍事的勝利ではなく政治的勝利
前回の冷戦は、軍事行動が終結させたのではありません。共産主義社会の経済が機能不全を起こし、共産主義陣営から見て、資本主義社会の方が人々は幸せそうではないかとの認識が広まったことが決定的要因でした。この意味で前回の冷戦での勝利は、軍事的な勝利ではなく、政治的な勝利でした。
新冷戦においても政治の役割大
現在の「民主主義」対「権威主義」の体制の闘いの文脈においても、権威主義体制の側から見て、我々の民主主義体制の方が人々が幸せそうに暮らしていると思われるかどうかで勝敗の帰趨が決まるでしょう。その意味で、政治家の果たす役割は極めて大きいと思います。
「吉田路線」を超える国家戦略を
戦後70年以上にわたって、アメリカ中心の世界秩序の下、日本は吉田茂が1951年にアメリカとの間で締結した日米安保条約により、アメリカとの緊密な連携の途を選び、それを通じて戦後の平和と繁栄を謳歌してきました。「吉田路線」です。極めて的確な国家戦略でした。その際、日米安保条約の最大のポイントは、アメリカの対日防衛義務を確保することでした。
しかし、アフガン戦争、イラク戦争を経て、アメリカの国力の相対的低下が見られる昨今、トランプ前大統領は「アメリカ・ファースト」と言い、アメリカは自国の事で精一杯であり、他国の事など関わる余裕は無いとの姿勢をはっきり打ち出すに至っていました。戦後のアメリカ中心の世界秩序(パックス・アメリカーナ=国際連合、自由貿易、ドル基軸通貨体制)について、大きな動揺が見られ、世界は激しく流動しています。
日本としては、アメリカとの連携は大事にしつつも、今後は、自らの運を切り開いていくために、「吉田路線」を超える国家戦略の構想が必要となっています。
「アジア・太平洋協定」構想
私の構想は、「アジア・太平洋協定」の実現です。アジア・太平洋地域の国・地域が加盟するAPECを基礎として、経済連携と安全保障の両方の性格を併せ持つ新たな枠組みをつくるとの構想です。それは、既存の枠組み(TPP、ASEAN、RCEP等)に日本海を囲む「北東アジア連携」のような新たな発想も組み合わせることを手始めに考えれば、不可能ではありません。そして、それに民主化支援を加えて、民主主義同士では戦争をしないとの考え方を応用し、平和と繁栄のための新たな秩序の形成を目指します。それは孫文が説いた「王道」の考え方にも通じます。
根底には、新渡戸稲造が遺した「我、太平洋の架け橋とならん」という言葉が私の心の中に通奏低音として響いています。
海外からの資本受け入れ拡大
そしてその土台として、国民一人ひとりが生活を豊かと感じる強い経済が必要です。別途、私の著書で、「反転攻勢」の経済戦略を読んで頂ければ幸いですが、そこで私が強調しているのは、海外からの資本の受け入れ拡大の重要性です。海外から資本を受け入れている国ほど飛躍的に発展しています。アメリカ然り、中国然り、韓国然り、ヨーロッパの多数の国然りです。
GDP世界4位にまで転落した日本経済を反転攻勢に転じさせる為には、海外からの資本の受け入れ拡大が決めてになると思います。
イノベーション強化戦略により人口減少も緩和
それにより、イノベーション力を強化、新産業を育成し、経済の実体的な強化につなげます。新しい産業を果敢に興し、新しい職場を創り、国民の所得を増大させれば、日本の「人口減少」も緩和できるでしょう。政治が国家戦略としてイノベーションを喚起しベンチャー企業を促す環境を本格的に作る必要が有ります。
環境大臣時代に実現した「脱炭素国債」20兆円もイノベーション強化戦略の一環です。
教育の充実
同時に、その大前提として、教育の充実が極めて重要です。「内面の充実」として「人間力」を充実させるとともに、これからは正解が存在しない時代であるので、自ら考えて自分なりの解答を見つけ出す力を養うことも重要です。少し表面的なことですが、英語とITについてもっと本格的に教える必要も有ると感じます。中国や韓国の若い世代の英語力、IT力は非常に高くなっているので、日本人も頑張らねばなりません。
農業でもイノベーション
ちなみに、イノベーションは農業でも重要です。これまで化学肥料を使い過ぎたために土中に化学物質が残留しており、それが微生物を殺してしまって、最近の野菜は栄養価が低くなったと言われます。また、残留している化学物質はアトピーやガン増加の原因とも言われだしました。そこで、土中に残留している化学物質を先ず沈殿させ、野菜等がそれを吸収しないようにし、その土に適した部生物を見つけて働かせます。もちろん肥料は有機肥料のみを使います。こうすることにより、発ガン性物質を含まず、栄養価も高い野菜がつくれ、市場価値も高くなります。地元でこのような農業イノベーションを進めることにより、兵庫12区には元気な人が多く、ガンになる人の割合が低い、と言われるようにできればと思います。これを全国に広められれば、日本人が健康になり、ガンになる人も減るということになれば素晴らしいと思います。
原発
環境大臣時代に脱炭素の文脈で原発についても考えることが多かったわけですが、私としては、今すぐ原発をなくすのは難しいとしても、可能な限り早く自然エネルギーの実用化を進め、それにより脱原発を実現できれば望ましいと思っています。
新たな独自憲法を
憲法については、今の憲法が日本人の幸せを邪魔しているとは思いませんし、今の憲法の文言を変えなければ日本が守れないとも思いませんが、戦後約80年が経つ中で、我々日本人が自らゼロベースで新たな憲法を創ってもいいのではないか、いつかそれを実現したいと思っています。
円安について
円安は、日本についての海外の評価の反映だと感じています。経済がGDP4位に転落した日本。しかし、一流の経済のためには、一流の政治が必要であり、一流の政治は一流の政治家によって可能です。経済のみならず、一流の国家のためには一流の政治家が必要です。敢えて言えば、私は、「超一流」の政治家を目指して飽くなき挑戦を続けます。
(了)